初めての一人旅(鞆の浦編)

前回のカテゴリーFPのブログで初めての一人旅の大観を説明しましたが、今回は鞆の浦についてお話したいと思います。鞆の浦は坂本龍馬のいろは丸が紀州藩の船と衝突して沈没した「いろは丸事件」が起こった場所であり、紀州藩から多額の賠償金を受けるための交渉が鞆の浦の至る場所で行われました。鞆の浦は昔から満ち潮と引き潮では海流が逆になり、つまりこの場所で海流が変わる事から潮の流れが変わるのを待つための港でした。とても美しい港で江戸時代からの港にある施設としての「常夜燈」「雁木」「波止場」「焚場」「船番所」の5つとも現在揃っているのは日本全国どこみても鞆の浦だけです。
・常夜燈

・雁木

広島旅行のガイドブックには鞆の浦の説明は1ページしかなくて、それでも隅の方に休みの日は1日3回、鞆の浦ボランティアガイドが鞆の浦を案内してくれるという情報を得て、せっかくだから行ってみました。訪れた観光ボランティアさんは私の父位の年齢で鞆の浦をこよなく愛する人でした。ガイド希望者は私一人。ガイドさん独り占めの贅沢な旅行になりました。いろは丸事件の事や港の事などもお話してくれましたが、このブログではガイドブックなどに書かれていないことを敢えて書きます。
これはボランティアガイドさんが教えてくれた事です。まず鞆の浦の瓦は丸い太巻きのような形をしたものが並んでいます。下記の写真で右側が鞆の浦の瓦、左側が通常の瓦です。
通常の瓦に比べ材料費が2倍以上かかるそうです。ここからも分かるように鞆(ガイドさんは鞆の浦と言わず「とも」と言います)は昔から港街として栄え裕福な家が多かったということでした。
それから下記の写真の右側の壁を見てください。
上の方が反り返っていますよね。これは皆、蔵を持っていたのでネズミが家に入ってこないように壁を登れなくしたということでした。また左の壁の木のようなものは船を再利用したものです。船は丈夫な木で作られていて、水にも強いことから再利用されることもあったようです。
下の写真は福善寺からの眺めです。

坂本龍馬が紀州藩との話合いにも使われたここからの眺めはとても美しいです。これは国民的番組サザエさんにも登場します。

鞆の浦は琴を作っている職人さんが居て、琴の産地としても有名だそうです。下の写真は琴を再利用した看板です。
今回のブログで全てのカテゴリーが108になりました。煩悩が7つです。長いことブログを書いたなぁという感じ。記念すべきall108ブログは鞆の浦でした。

次回のカテゴリーFPで仙酔島のお話を書きます。