ラスト・ナイツ

紀里谷和明監督の作品なので観にいきました。紀里谷氏は私の中で最近気になる人物です。知的な感じのルックスに強気なんだか弱気なんだか分からぬ発言に実際お話ししたらどんな感じなんだろうと変な妄想をしています。彼の底知れぬ不思議感にすっかり魅了されています。ということで観に行ってきました。

まず、タイトルの「ラスト・ナイツ」はもしかして「ラスト・サムライ」のパロディか?と思っていましたが、至って真面目な話でした。どちらかというとハリウッド版忠臣蔵という感じの映画です。

西洋と東洋の融合のような映画で背景や主人公などは西洋なのですが、人物もポイントとなる脇役に東洋の俳優を使い、魂は侍そのものです。なんとも広い世界観を感じた映画でした。様々な人種の俳優が出演しダイバーシティも意識しているのではないかと思いました。洋画でも邦画でもない新たな映画という感じです。形式的には洋画で実質的には邦画という感じ・・・

ストーリーも忠臣蔵的な古い要素と次期承継者は血筋ではなく実績で選ぶなどの新しい要素が入り混じっていますので、固定観念を取り去って観ることができれば、とても面白い映画です。

マイ・インターン

プラダを着た悪魔の続編と言われている映画「マイ・インターン」を観てきました。厳密には主人公の名前が違っているので続編ではないのですが・・・
「プラダを着た悪魔」は約10年前にファッション業界に新卒で入社した主人公が悪魔のような上司のしごきに耐えながら、社会人として成長してゆく様子が描かれていました。「マイ・インターン」は結婚して出産をした主人公がインターネットでのファンション販売を始め社長として奮闘する様子が描かれています。

社会貢献のためシルバー人材をインターンとして雇います。全く期待していなかった人材ですが、女性経営者である主人公の仕事の痒いところに手が届くような仕事ぶりを発揮し、主人公も徐々に信頼していき起業家としても成長するという話です。シルバー人材のインターンは電話帳印刷会社で定年まで勤めた男性70歳です。30代の女性経営者は始めは戦力外の扱いをしていましたが、気が利きすぎるインターンに少しずつ心を開きます。

30代の女性経営者が上司で70歳の男性インターンが部下です。仕事もプライベートも忙しい女性経営者のサポートを見事なまでにこなしていきます。仕事があるだけで幸せというインターンの謙虚さときめ細やかさに、私のシルバーインターンに対するイメージもだいぶ変わりました。自分の父親位の部下なんて想像できず、イメージとしては癖があるし、女性経営者を見下すかもと思っていましたが、こんなインターンなら歓迎ですね。

主人公が女性経営者であるということ。そして仕事もプライベートも頑張っている様子に私も頑張らなきゃと改めて思いました。

ジュラシック・ワールド

ある島を丸々恐竜ワールドのテーマパークとして、開園させています。人々の要求は毎年高くなり、より大きくより凶暴な恐竜に注目が集まっています。遺伝子組み換えにより過去にも存在しなかった凶暴で大きく知能も高いインドミナス・レックスが誕生しました。一般公開に向け、安全性の確保など設備強化が図られる中で事件は起こります。知能が高く凶暴なレックスが逃げ出すのです。

様々な遺伝子を組み合わせた恐竜レックスはまだ誰も見たことない恐竜なので対策が難しく、人間は逃げまどい上手く対処できず、死者も多くでます。他の恐竜も逃げ出したり、レックスに殺されたりもう大変。これより先はネタバレになるのでいいませんが・・・

遺伝子組み換えは現在でも野菜などを中心に国内でも盛んにおこなわれている技術です。遺伝子組み換えにより誕生した恐竜は明らかに有害です。なんでこんなの作ったの?誰もがそう思います。人々の好奇心・商売重視だけの為にこの恐竜を作った人間はなんて愚かなんでしょうと思う人は多いと思います。でも、それは直接人間の害になる恐竜を作ったから・・・

野菜はどうでしょう?恐竜まではいかなくても本当に無害なのでしょうか?早く育つとか虫に強いとか良い面もあるかもしれませんが、果たしてそれだけで遺伝子組み換え野菜を作り続けて良いのでしょうか?急に大きな変化はないかもしれませんが、徐々に人間の体に悪い影響があるとしたらどうでしょう?自然界の法則に逆らった人間に徐々に天罰が下されるとしたら・・・そんなことを考えてしまった映画でした。

ミッション:インポッシブル ローグ・ネイション

ミッション:インポッシブルシリーズは1996年に初めて公開され、その後続編が5本でました。今回も相変わらずのド迫力アクションでした。今から19年前トム・クルーズは30代前半でしたが、とうとう50代になりました。それでもこのパワーとエネルギーは目を見張るものがあります。あ~トム・クルーズも年を取ったなぁと全く感じさせないアクションの連続にこの人自身がミッション:インポッシブルなのではないか?と感じてしまいました。

50代とは思えない上腕二頭筋の筋肉と腹筋に同世代のおじ様達が見たら「おそれいりましたm(__)m」と言うしかないと思います。トム・クルーズは何歳までミッション・インポッシブルに挑戦するのでしょうか?できれば、一生挑戦し続けてほしいです。私も一生応援しますから・・・年上の世代が頑張っている姿を見るとこちらの方がまだ体力も気力も理論的にはあるはずだから、頑張らなきゃなと思います。私のようにトム・クルーズの姿をみて、自分はまだまだだ!頑張ろう!と思う人って世の中沢山いると思います。

あっ、映画の内容の感想を言うのを忘れていました。敵なのか味方なのか分からない女性が一人登場します。時には命を助けてくれたり、時には怪我をさせて見捨てたり・・・彼女はただ、自由になりたかっただけなのですが・・・彼女は日本版峰富士子のようであり、妖艶で魅力的でした。イーサンは直感的に彼女を信じます。自分は裏切られたり助けられたりするのですが・・・それでも信じます。ルパン三世と同じですね。内容自体は言ってしまうと全く面白くないのでこの辺で止めておきます。

トム・クルーズのファンでもありませんが、とても元気を与えてくれるそんな映画でした。彼は年齢を重ねていくほど魅力的になっていく気がします。

グローリー~明日への行進~

1964年にノーベル平和賞を受賞したキング牧師のお話です。1862年にリンカーンが奴隷解放宣言をして100年位後のお話です。法律的には、人種的差別はなくなったものの、100年経った1964年でもアメリカでは、まだ黒人に対する差別が根強く残っていました。法律的には黒人にも選挙権があるものの実際には、有権者登録を行わないと選挙権は与えられず、登録しようとすると言いがかりをつけて選挙権を与えていません。黒人に選挙権を与えるように運動をします。キング牧師は非暴力を掲げているので武力は行わず、暴力を振るわれても決して暴力での仕返しはしません。

1965年に南米のセルマから抗議のための行進を決行します。当初600人位でのスタートでしたが、途中で白人警官に妨害されその暴力行為が全米のテレビで流れます(血の日曜日事件)。それに反感を持った白人を含む多くの人々も行進に参加して、政治を動かすというお話です。

世の中を良くするのは政治です。日本人にとっての選挙権の価値よりこの映画での選挙権の価値はくらべものにならないくらい重く、当たり前に与えられている選挙権を命がけで得た人々もいるんだということを実感し、日本中の人々に観せたいと思いました。最近、富裕層を中心に日本を見捨てる動きもありますが、決して努力した人が損をするような世の中にしないためにも、選挙権を行使して日本をよりよくしていきたいとつくづく思いました。

ビリギャル

映画を観に行こう!と思って時間が合ったので観てみました。期待していなかったからか、事実だからか、本もあるような映画だったからか定かではありませんが、とても良かったです。

これが作り話だったらここまで感動しなかったと思います。結果が分かっているのに、これで慶応大学合格は無理じゃない?と思ってしまうシーンが沢山あるのです。それでも最後は合格します。何度も自分自身も諦めそうになりながら、それでも諦めず挑戦します。

高校生の時、私はここまで意志を強固に持ったものはありませんでした。ですから、主人公は若いのに周りの環境に流されず随分しっかりしているなぁ~と親のような気持ちになってしまって感心してしまいました。

本人の健闘も充分称えられるべきものですが、父親と母親の人としての完成度があまりにも違い過ぎて、ちょっと笑ってしまいました。父親は永遠に少年、母親は子供を産むことによって人として成長するというのも見どころだと思います。それにしても、この母親が偉大で主人公もこの母が居たから頑張れたのだと思います。努力することの大切さと母親の愛の物語でした。

ワイルド・スピード SKY MISSION

ワイルド・スピードシリーズは毎回観ています。カーチェイス映画かと思っていましたが、全然違います。(まっそういうシーンもありますが・・・)もっと人間味があって愛情たっぷりな映画です。私はこの映画シリーズが大好き。今回も観に行きました。

今回、なんでこの映画シリーズが好きなのか考えながら観ました。自分なりに分析した結果が、①常に行動的(頭でいろいろ考えるより行動を起こしている)②不可能な事に挑戦するエネルギーがみなぎっている(しかもポジティブ) ③登場人物が魅力的(通常、主人公とヒロインだけが魅力的でそれ以外はそうでないケースが多いがこの映画はそうでない)④信頼や愛情があふれている(男女愛だけではなく、友情やそれ以上の信頼関係が構築されている)多分、こういうことから気分が良くなる映画なんだとつくづく感じました。相変わらず、スカッとして、それでいて熱くなる映画でした。

風に立つライオン

大学病院に勤務する医師の航一郎が、ケニアの研究施設に派遣されていた時に、1ヶ月間、戦場である現地の赤十字病院の派遣要請を受け戦場で負傷した人たちの手当や手術に追われます。戦場では、子供が怯えて戦場から逃げ出さないように麻薬を打たれ戦士として戦わされています。派遣先から戻った後も、その1ヶ月のことが忘れられず、転籍を希望して自ら戦地の医師となります。

日本には、同じ医師である貴子という恋人がいます。ケニアに行く際に貴子も一緒に来てくれないか。と誘います。貴子も一緒についていこうとしますが、貴子の家はもともと小さな町で診療所を営んでいて医師であるお父さんが体調を崩した時だったので、貴子は日本に残ることを選択します。結局この二人は結ばれません。お互いに好きなのに、かけがえのない人と思っているのに環境とかタイミングとかそういうものが合わないのです。切ない気持ちになりました。

先月観た映画「アメリカン・スナイパー」のクリスもそうでしたが、航一郎も再び戦場に戻ります。自分が戦場で役に立つことを知っているのです。クリスと航一郎も結局亡くなってしまいます。

印象に残ったシーンを2つ紹介します。1つ目は予告編などにも流れているので有名ですが、心も身体も傷ついた少年兵が航一郎に言います。「僕は医者になれるか?」「なれるさ」「僕が医者になることなんでできるはずがない。だって僕は人を9人も殺したんだ」この時点で少年は泣いています。航一郎は言います。「だったら、一生かけて10人の命を救うんだ。その為に未来はあるんだよ。」

航一郎は夜中や早朝に外で空に向かって「頑張れー。頑張れー。頑張れー。」と叫んでいることがあります。何人かの人はこの声を聞いています。戦場の派遣先からケニアの研究所に戻る日に和歌子(現地で働く日本人看護師)が言います。「私には頑張れって言ってくれないんですか?」航一郎は言います。「頑張れは他人に言う言葉じゃない。自分に言っているんだ。」この言葉には衝撃を覚えました。本当に頑張っている人は周りの人に頑張れなんて言わないのです。ただ、自分が折れそうになった時、迷いが生じそうになった時、自分に頑張れって言うんですね。

アメリカン・スナイパー

話題の映画、アメリカン・スナイパーを観ました。何ともコメントが難しい映画です。観終わった時の感覚は、何とも虚しさが残るといったところです。私のアメリカン・スナイパーの感想が聞きたいという人が居たので敢えて書きますが、本当はあまり書きたくありません。その位脱力してしまう映画だからです。

主人公のクリス・カイルは狙撃手の名手です。イラク戦争の際、味方を守るため160名あまりの敵を狙撃したレジェンドです。クリスは闇雲にイラク兵を射撃するのではなく、あくまでも味方がやられそうな時、それを守るため射撃します。味方を守るためなら、時には女子供でも射撃します。1000m以上の距離でも2000m近くでも命中させることができます。

自分がいないと多くの味方の命が奪われるといった責任感からなのか4回も遠征します。その間、妻は子供を身ごもり、子供を2人産みます。夫はたまに帰っても心ここにあらずで、ドリルの音などでも戦争の体験を思い出し、点いていないテレビから戦争の光景が見えたりして、遠征が重なるたびに心が蝕まれてきます。

そうです。正常な人であれば誰も敵だからといって人を殺したくはないのです。クリスはかろうじて味方を守っているという気持ちだけで射撃せざるを得なかったのです。夫不在のまま一人で2人の子供を育てている妻は、戻ってきている時だけでも心もここに戻ってきてと訴えます。妻の気持ちも痛いほど分かります。でも、クリスがそうなってしまうのも、とても分かります。正常であればあるほど、心は戦争で病んでいくのです。

ラストのシーンは書きませんが、何とも虚しさが残ります。何でこの人がこんな目にと思います。もしかしたら、神様は正当な理由(仲間を守るという)があっても、人間を160人も射撃した人を許さないということかもしれないと思うと、切なくて虚しくて何ともやり切れない気持ちになる映画でした。

悼む人

不思議な映画でした。静人は何年か前から会社を辞め、その時の資金を取り崩しながら全国を旅しています。旅の目的は故人を悼むため・・・新聞などで事故死した人や殺害された人などを調べ現場に行き静人の独特な儀式で故人を悼むのです。できるだけ故人の情報を得ようと時には故人の家族などにも情報を聞きだし、声に出して悼むのです。誰に愛されたのか。誰を愛していたのか。誰かから感謝をされていたのか。など、そして最後に私が生きている限りあなたの生きている姿を覚えておきます。と言います。

印象に残ったのは、いじめで殺された中学生の家族とお話しした時、その家族は新聞記事はデタラメだと憤ります。加害者は警察官僚の子供で事実がすり替わっていると・・・家族は言います。私たちの子供を悼む気持ちがあるなら、一緒に加害者を恨んでくださいと・・・静人は言います。「それはできません。そうすると、故人への想いが薄くなり、加害者への想いだけが大きくなります。私は故人が生きていた姿を覚えておきたいのです。」

静人の姿は時として不審者にも思われ、警察から事情聴取をされることもしばしばで、家族にも連絡が入ったりします。静人の母は、息子の行動は理解できているわけではないけれど、それでも誰にも迷惑をかけているわけではないし、自分だけは、家族だけは味方になっていこうと決意しています。末期がんに侵されても静人の行動を尊重しています。何という母の愛の偉大さでしょう。素敵な家族の物語でもありました。