県庁おもてなし課

何とか県内に人を呼ぼうと観光促進を目指す高知県を舞台に、県庁おもてなし課が奮闘するお話です。発足されたばかりのおもてなし課は4人だけの小さな組織です。

観光を促進するため香川県のうどん県を宣伝している要潤氏のように、高知県出身の観光特使を探すことから始めます。多くの高知県出身の著名人にお願いするのですが、そのうちの作家吉門氏からも観光特使の承諾を受けましたが、1か月後、その吉門氏から電話があります。「その後どうなった?」と・・・「まだ具体的には何も」と答えるも、1か月以上ほったらかしにして、途中経過の報告もない。君たちに足りないものは’民間感覚’だと叱責されます。君たちだけでは企画は成功しない。公務員でない民間の若い女性を雇う事。20数年前のパンダ誘致事件を提案した人だったら、君たちが考えつかない壮大な計画を考えてくれるとアドバイスされます。

それで女性アルバイトを雇い、誘致事件の当事者である方のアドバイスを受け、奮闘するというお話です。

高知にあるすばらしい自然に触れ、実際に体験することを教えられ何がダメなのかということを身を以て体験することにより分かるということをアドバイザーから教えられます。

アドバイザーは女性アルバイトに聞きます。「どうだった?」と・・・女性アルバイトは答えます「とても素敵でした。でもあの場所は男の山小屋です。トイレもないし、食べるところもない。女性だったら1度は行っても2度目は行かないと思います」

そこで自然を残しながらも居心地のいい空間を作るように努力しようと決意します。県庁の予算は決まっていてわずかな予算で何ができるか考えようとします。そんなお話です。時折出てくる高知の素晴らしい自然に行きたいなぁと思わせる映画でした。

実は高知県には観光振興部おもてなし課が実在します。そのHPを見たら、「おもてなしトイレ」というカテゴリーがあり、覗いてみると観光客が利用するトイレをきれいにしているトイレを公募で紹介していました。そこにはきれいにしている人々とトイレの写真も載っています。実際、お金をかけずそれでいて観光に必要なきれいなトイレを増やそうとしている努力を感じました。

プラチナデータ

東野圭吾氏の小説を映画化したものです。東野氏の小説を映画化したものは殆ど観ています。映画化しても楽しめる内容になっているのが特徴です。私の感想はちょっとだけネタばれしていますので、映画を観てから読んで下さい。

主人公神楽龍平は警察庁の科学捜査機関に所属する天才科学者で、わずかな証拠から最先端のDNA捜査を行って犯人を特定します。国民のDNAを違法なやり方(例えば献血であったり、学校の検診であったり)で採取して全国民のDNAを採取できれば、検挙率100%冤罪率0%の社会が作れるとDNA法案を通そうと秘密裏に動いています。ところが、DNA捜査システムが導きたした犯人に自分が指定されます。身に覚えのない殺人の犯人にされそうになった主人公は逃亡し、真実を突き止めようとします

ここまでは予告などで公開されている内容ですね。この映画には3つの謎が隠されています。1つ目は、神楽龍平は実は二重人格者で自分と別人格のリュウが殺人をしたのか?という謎。2つ目は、主人公も知らないプラチナデータの秘密があり敢えて欠陥品にしたということ。何故?という謎。3つ目は、蓼科兄弟(プラチナデータを開発した兄妹)が殺される前に開発していたモーグルとは?蓼科兄弟が残したメッセージ「罪滅ぼし」には何の意味がある?

龍平は蓼科兄弟を殺していなかった。でも現場にDNAが残されていた理由。プラチナデータによって困る社会的地位のある人たちの陰謀。蓼科兄弟が言っていた罪滅ぼしの意味など映画で明らかになります。沢山の謎があるので観ていて飽きません。

映画の始めの方にDNAは全てを決める。性格や思考でさえもみたいなことを言います。私は確かにDNAで決まるものもあるけど、それ以上に慣習や想いみたいなもので決まることの方がむしろ多いよ!と心の中で反論しましたが、映画の最後の方でそう言った主人公が自らの過ち(DNAが全てを決めるのではない)を認める発言をしたのが印象的でした。

遺体 明日への10日間

先週末は仕事にやる気満々で空けていたのに、資料が届かずできませんでした。したがって映画を観に行きました。この映画は東日本大震災を題材にした映画で3月11日でちょうど2年経ったところです。

舞台は岩手県釜石市で廃校になった中学校の体育館が遺体安置所になり、そこに津波の被害にあった人々の遺体が次々と運ばれています。この映画の感想を書くなど烏滸がましくてできませんが、私が知らない世界がいっぱい詰まっていました。

そこで働く人たちは悲しんでいる暇もないくらい忙しく、色々な人たちの気持ちも気遣いながら頑張っていました。私は身内やごく親しい人を亡くした経験がないので遺体というものをあまり知りませんでした。

助けを求めるような手をしたまま亡くなると死後硬直でそのままになります。それを無理やり直すと骨折します。そのような場合、優しく声掛けしながら、筋肉をほぐしてやるようにマッサージすると折らずにもとに戻すことができます。また死後何日か経つと顔の色が黒ずんできます。特に目の周りは紫色に変色します。きれいな顔でお棺に入れたいと思ったときお化粧をするのですが、遺体にはファンデーションがのりません。そのようなときはまず、クリームを塗ってからファンデーションを塗るそうです。行方不明になった人を探しに遺体安置所には沢山の人が訪れます。遺体は地元の医師や歯科医師が検死します。身元が判明しない場合も多く、例えば独居老人や家族丸ごと亡くなってしまった場合などです。いつまでもそのままにしておけないので、DNA鑑定と歯型鑑定を残して火葬場に向かいます。遺骨は地元の住職が預かり、あとで身内らしき人が現れたときにはDNA鑑定と歯型鑑定で照合して引き渡すそうです。

全部知らないことばかりでした。途中、住職が遺体安置所にお経を唱えにくるのですが、そのお経の声に何とも救われた気持ちになったのは私だけではないと思います。

東日本大震災での死者・行方不明者は19,009人 日本人として忘れてはならない。後世に残すべき映画でした。この映画を見ると、私たちは生かされているのだということが実感できます。

きいろいゾウ

出会ってすぐに結婚した夫婦のお話です。三重県の田舎に住んでいます。夫のムコさんは売れない小説家で、それだけでは食べていけないので、昼間は特養でヘルパーのお仕事をしています。妻のツマは結婚して夫の故郷の田舎に引っ越してきて専業主婦をしています。

お互いによく知らないまま結婚してしまった夫婦に結婚後に知ってしまうお互いの過去・・・夫は女性を引きづり妻は子供の頃に心臓の重い病気を抱えていました。でも、今はお互いを想い愛し合っている。そんな映画です。

お互い想いあってるのに、すれ違ったりして切ない感じ・・・ツマの行動パターンは私と一緒なので、もの凄く感情移入できました。ツマはとても敏感で些細なことにも気が付きます。でも、決して相手には直接感情をぶつけません。ただ、私は気が付いているよ。と相手に分かるようにヒントを与えます。これが彼女のSOSなのです。でも、ムコさんは気が付きません。小さいSOSでは気が付かず、なんで妻は機嫌が悪いんだろう。と全く違う逆のフォローをしてツマをなお怒らせます。ムコさんは優しく私に言わせれば少し鈍感ですが、口数が少なく愛情表現も上手ではないけど大きな愛でツマを見ています。

ツマもムコさんを心の中から愛していて、それゆえイライラしたり、切なくなったりしています。女の人も男の人もツマやムコさんのようなタイプは多いのではないかと思います。愛という芯はぶれていないのですが愛情表現の違いからちょっとすれ違ったりして、それでもお互い一緒にいたいと思っています。ほんのりさせられる映画でした。

私はうっかりこの映画を一人で観てしまいましたが、パートナーや親友と観たりするのをお勧めします。

レ・ミゼラブル

ミュージカル仕立ての映画です。ミュージカル仕立ての映画は初めて観ましたが、何しろ分かりやすい。表情や微妙なしぐさで物事を判断する要素は全くなく、かなりオーバー目な表現の歌で展開されます。テンポも早く通常の映画でしたら、3部作に分かれるくらいの内容を2時間半位で終わらせます。逃げているときにいきなり大きな声で歌いだした時には、思わず「おいおい、見つかっちゃうよ」と突っ込みを入れたくなりました。細かい微妙な表現がない分、分かりやすくかつ、ダイナミックです。

キリスト教を意識した考え方もかなり取り入れられていて、善か悪かもはっきりしています。世の中実際には善か悪かはっきりしないことも多いのに、ここでは善は善、悪は悪です。善の中、悪の中に大小はなく、悪であれば少しの悪も大きな悪も悪というカテゴリーに入れられます。例えば、妹の子供が飢えで死にそうだったのでパンを盗んだ主人公のジャンバルジャンは、理由はどうであれパンを盗んだという悪のため19年間も牢獄に入れられます。

内容を少しだけお話しすると19年間牢獄に入っていたジャンバルジャンは服役後、司教の深い慈悲にふれ改心する。徳を積み市長になるがフォンティーヌという自分の工場で働く女性を間接的に解雇してしまい彼女の死間際に彼女の一人娘であるコゼットを自分が育てると約束します。コゼットを引き取り自分の本当の子供の様に育てます。コゼットもジャンバルジャンを本当の父のように慕います。コゼットが大人になり、一人の青年に恋し、その青年もコゼットを愛していると知ったジャンバルジャンは、本当の父のように愛娘を手離す寂しさを覚えますが、それでもコゼットの意思を尊重し、青年が革命で命を落としそうになったとき、命がけで青年を助けます。

ジャンバルジャンがコゼットに注いだ愛情は男女の愛情ではなく、もっと大きな無償の愛でした。コゼットの幸せだけを考え行動します。これこそ究極の愛です。

この映画は観たときに号泣したという人が続出した映画ですが、私は観ているときは全く泣けませんでした。多分展開が早すぎてかつ、大胆すぎて圧倒されていたのだと思います。でも、観終った後、ジワジワと良さを実感するそんな映画でした。

2012年映画鑑賞

今年見た映画の中で私が感じた良かった映画「BEST3」を発表します。

1位 happy-しあわせを探すあなたへ
この映画は2012.5.21のブログで感想を書きました。今までに見たことない方式でストーリーが展開されます。幸せということについて、理論とそれについての実証を様々な角度から考察するというやり方です。映画の作りも斬新でしたが、一つのテーマについて深堀して実際のデータや実話をもとにする検証も納得感があり観終わったあと、なんか心があったかくなるそんな映画でした。

2位 Garl
この映画は2012.6.4のブログで感想を書きました。女性が感じる様々な複雑な感性を細かく上手く表現しています。女性は(男性もそうかもしれませんが)どんな立場であれ、環境であれ様々な悩みを抱えながらも一生懸命生きている。そんなことが伝わってきた映画でした。

3位 ツナグ
この映画は10月に観ましたが、10月のブログの感想は天地明察を書きました。ツナグとは亡くなった人と生きている人を1回だけ引き合わせることができる人です。生きている時に1回だけ亡くなった人とのオファーととることができ、亡くなった後にも1回だけオファーを受けることができるというものです。生きているときにオファーをして、亡くなった人がそのオファーを拒絶してもその一生1回の権利は喪失します。私は両親健在ですし、まだ本当の意味で人の死で傷ついたことがありません。もし、自分にかけがえのない人が亡くなってしまったら、きっとこの権利を使うと思います。多分会いたくて会いたくてたまらない衝動に掻き立てられると思うからです。そして、自分が亡くなった時、誰かが私に会いたい。この権利を使って私に会いたいと思ってくれる人がいるようなそんな生き方をしたいと思った不思議な映画でした。

カラスの親指

昨日、映画はレディースディだったので、カラスの親指を観てきました。今月は忙しくこれ1本しか見れませんでした。まだ、公開されたばかりなので、あまりお話しするとネタばれしますし、ネタバレすると面白くない映画です。

詐欺師の男2人がひょんなことから自分たちの子供世代の姉妹とその彼氏の合計5人で同居します。男の過去や姉妹の過去がある接点で結びつき、話は流れていきます。

最後の最後で、えっそういうことだったの?と知らされ、カラスの親指という映画の題名の偉大さに気が付くという物語です。じれったい感想ですが、これ以上知ると面白くもなんともない映画になります。

詐欺師の一人である村上ショージが最後の方で語る「詐欺師なんてろくな仕事じゃない。もっと早く気が付くべきだった。人と人は信頼というもので繋がっているのに、それを利用する仕事だなんて人間のすることじゃない」みたいなことを言います。確かにそう。人と人は信頼で繋がっているんです。

天地明察

主人公安井算哲は将軍に囲碁を教える家柄に生まれ囲碁を教えていましたが、趣味は幼い時から星の観察と算術で問題を解くこと。夢中になったら周りの声も聞こえず夢中になって取り組むタイプです。

ある日、日本各地の北極星の高度を測る旅を命じられ1年という長い歳月をかけ測定します。それも方向と歩幅で距離を測り最初に算術で理論値で導き出し、実測で検証するというやり方で・・・1年の旅の予定でしたが実際は1年半かかってその作業を終えます。

その経験を経て日本の暦の不確かさを確信します。暦といわれるものはその時代3種類あり、3年かけて実測し、そのうちの1つが正しいと導き出します。

ところが、正しいはずの暦がたまに狂うのです。99.9%合っているのに何故?と挫折します。才人の助けを借りながらもその謎が地球の傾きに起因するものであると発見し、新しい正確な暦を作ります。1回失敗しているので、命がけです。朝廷の妨げや偉人達の協力も織り込まれています。

算哲は何かに夢中になるとそればかりやっていますから、女性との縁もなくうまく接することができない不器用な男性です。でも、えんという妻との不器用な恋愛も描かれています。なかなかほんのりして、よい映画でした。やはり、何かに一所懸命打ち込む姿というのはいいですね。多くの時間をかけ失敗を繰り返し、挫折しながらもまた立ち向かっていく。そういう直向きな謙虚さが大きな功績を生むのですね。

踊る大捜査線THE FINAL 新たなる希望

ご存じ踊る大捜査線シリーズです。このシリーズはずっと見続けています。公開されたばかりなので、あまり内容は言いませんね。。

殺人事件が起こります。何故か拳銃の種類が公表されません。拳銃の弾は体内から検出されたはずなのに・・・

そう、警察内部の犯行の可能性が出たからです。警察庁から不祥事が生じては大変と上層部は嘘に嘘を重ね隠蔽しようとします。それどころか無実の罪を一般の人に被せようともします。

人は何故腐ってしまうのでしょう?警察官になったときは、誰もが町のみんなを救いたい。守りたいと思ってなったはずです。それがいつの間にか自分の立場を守るため、隠蔽に走ります。警察だけではなく、一般の社会でも良くありますね。個人個人が初心のままでいられればそのようなことは起こりません。自分は正義でいたいと思う気持ちは何年経っても大事ですね。

映画の中で室井さんが言った「組織の中では特に個人の信念が必要だ。」という言葉が特に印象に残りました。

トータル・リコール

この映画は1990年にシュワルツェネッガー主演で一度作られた作品をコリンファレル主演で作り直したリメイク版です。映画の題名は有名なので知っている方も多いのではないでしょうか。私自身は当時映画館で観ていませんので、題名とシュワルツェネッガー主演の映画ということしか知りませんでした。ですから、今回は初めてみるようなものです。

この映画の中では、過去の記憶を書き換えることができます。現在の生活に不満を持つ人々が「大富豪」になったり、「諜報員」になったりすることを体験できる会社がリコール社です。主人公が仕事ができるのに出身が悪いため、出身が良い自分より仕事ができない人が昇格したことでムシャクシャして、リコール社を訪れたことから話がスタートします。彼は諜報員になる体験をしたいと申し入れます。体験をしようとした瞬間警察部隊が現れ中断されますが、その時に逃げようとしたためにとった行動が警察官を10人殺してしまったり、半端ない俊敏さであったり・・・実は彼は現在では工員として働いていますが、本当は優秀な諜報員で、過去の記憶を強制的に書き換えられていたという事実に少しずつ気が付きます。

それは、見知らぬ女性(いつも同じ人)と逃亡し自分がつかまる夢を毎日のように見ることであったり、手の傷、過去に訓練した記憶はないのにやたら俊敏な動き、ピアノが弾けないはずなのにピアノが目の前にあったら無意識に弾いてしまったこと。そう、無意識潜在的なものが本当の自分に少しずつ気付いていくという話です。

どれが本当でどれが書き換えられた記憶なのか自分の中で、自分は一体何者か?という不安にさえなまれながらも、過去の記憶はあてにできないけど、今の自分は自分なのだと決意してから、迷いがなく行動します。

人は今というのは過去の積み重ねだから、過去の記憶が全くなくなったらそれはとても不安になると思います。でも、過去に拘り過ぎでも現代を思い切り生きられないような気がします。現在どう生きるかは、自分が今何をどう選択するかにあります。今が大事なんだと気付かされた映画でした。




ピンクの浴衣は大人が着ると甘過ぎてしまうきらいがあるので黒い重厚な帯で締めてみました。深緑の浴衣は逆に地味過ぎてしまうきらいがあるので、ピンクの帯で柔らかさを出しました。深緑の浴衣は深川八幡祭りに行った時のものです。深川なので深緑です。