ライフ-いのちをつなぐ物語-

私はあまりネイチャー映画を観ません(前回はちょっとネイチャーぽかったですが。。。)ただ、最近ちょっと疲れているのか癒されたくなりこの映画を観ることにしました。

動物、虫、植物の生態を淡々と撮っています。人間は一切出てこないのですが、ナレーションの声だけは人間です。(当たり前ですが・・・)

自然界の生物にとって「生きる」ことは「生き抜く」ことだと言っています。

生き抜くためには、仲間と協力しながら外敵から身を守り、伴侶を見つけ、子孫を授かり次世代に引き継ぐこと。それって本来生物に与えられた本能みたいなものでしょうか。

一番印象に残ったのは、イチゴヤドクガエル 爪の先位の大きさの赤い蛙です。
このカエルは卵を産み落とすと、それが孵化するまでじっと見守り、孵化しておたまじゃくしになると、そのオタマジャクシを自分の背中に乗せて、100メートル上の木の上まで登り、葉と葉の根元で水が溜まるところまで運びます。その水たまりは小さいので、1つの水たまりに1匹を入れるのです。その作業を1匹1匹繰り返します。

葉で出来た水たまりには、オタマジャクシが育つ栄養分がありません。そこで、母赤ガエルは、定期的にその水たまり一つ一つに無精卵を産み落としオタマジャクシの栄養分として与えます。オタマジャクシがカエルになるまでその作業を繰り返します。

最近、私の周りでも草食系男子、子供を産みたがらない女性、結婚したがらない人が蔓延っています。それって、自然界からすると反逆児?自分を含めて反省です。。

この映画は殆どの人は癒されると思います。でも私は逆に考え込んでしまいました。もう少し本能で生きた方がいいのかなぁ~って・・・人間は変に知恵があるせいで、自然界から逸脱した生き方をしてしまうのかもしれませんね。

ツリー・オブ・ライフ

この映画は、カンヌ国際映画祭でパルムドーム賞を受賞した作品です。

年間40本位映画を観る私ですが、こんな映画は初めてみました。おそらく、これは観る人によって、バラバラな感想を持つと思います。あっ予め言っておきますが、この映画を観ようと思っている方は、他人の感想を読まないで行った方がいいです。ですからこの先は読まないでください。

予告を見たときはある程度のストーリーがあって家族の物語だと思っていました。小さい時はこのような幼少時代を過ごして父を嫌っていたが、大人になって成功して父の本意が理解できた。そんな映画だと思っていました。

ところが、ストーリー的なものはあまりなく、断片的な会話や行動が映し出されます。主人公のジャック(大人になってからはショーン・ペン)は大人になってからの姿は心の叫びみたいなものはあるものの、会話はほとんどありません。また、ジャックの弟が19歳の時に亡くなったのですが、その原因も分かりません。幼少の時嫌いだった父が理解できるようになったといったシーンもありません。そして多少宗教的です。

なので私は私が感じたままのことを書いてみます。最初の30分位ネイチャー映画のようなあまりストーリーはなく、綺麗な絵ハガキのようなシーンが続きます。多分そのシーンは人が生まれるということを地球の一部として捉えているのかなとも思いましたが、正直そのシーンは綺麗とか不思議とか思う前に目に見えない心の奥に支配しているものの象徴のような気がして、とても陰な気分になりました。多分こんな風に感じるのは私だけだと思いますが・・・そして終わってもすっきりとしない。そんな映画でした。この映画は観る人によってかなり感想が違うだろうなと思って、一緒に行った友人に感想を聞いたところ、「最初の30分でボディブローを打たれたが何とか観終わった。難しすぎる・・・」というものでした。私が感じた目に見えない不安のような感想より、友達の感想の方がより多くの人が抱く感想のような気がします。




浴衣10回目です。これで今年は終わりです。この浴衣は中学時代の親友が成人してから手縫いで仕上げてくれた大切な浴衣です。今でも大事に取ってあります。

もしドラ(もし高校野球のマネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら)

本や漫画やTVで放映されたことから、知らない人はいないのでは?と思うくらい有名なお話です。

私自身はドラッカーのマネジメントは読んだことありますが、もしドラは本も漫画もTVも見ていないのでもしドラ初体験でした。

高校野球の顧客は誰か?というのを、親・応援してくれる生徒・見てくれるファン・野球部員・高校野球連盟などの野球に関連する人々と定義し、高校野球における組織とは、顧客に対し、感動を与える組織である。と定義します。そこから物語が始まります。

内容は弱小野球部が甲子園に行くまでの軌跡を描いたものですが、内容の予想がつきやすく、分かりやすい展開でしたが、最後の試合だけちょっとひねってありました。

こちらの方が1点負けている最終回の打席で、ツーアウト1・2塁のシーンで、相手がもう勝利を確信し、ピッチャーを2番手に交代します。こちら側は何故か1塁の走者を駿足の選手に交代します。何故2塁ではなく1塁の走者を交代するの??前が詰まっているのに・・・と思っていました。

そう監督はとりあえず、1点を取って同点にして延長戦に持ち込むのではなく、この回で2点取って勝つことを狙っていたのです。最後にあぁそういうことね。と分かるラストでした。ストレスなく楽しめる。そんな映画です。

ブラック・スワン

アカデミー賞の主演女優賞をとった作品です。私はナタリーポートマンが大好きということで、観に行きました。

映画の内容は、主人公であるバレリーナのニナはやっと「白鳥の湖」の舞台で念願の主役を獲得します。主役は白鳥と黒鳥を演じなければいけません。

ニナは美しくて臆病で繊細な白鳥を完璧に演じることができます。しかし、妖艶で魅惑的な黒鳥は演じることができないのです。そこに妖艶なライバルが登場し、演じられない焦りから精神破壊していくというものです。

いろいろな困難を乗り越え(というより精神的に追い詰められ破壊していって)舞台公演は清楚な白鳥と妖艶な黒鳥を完璧に踊ることができますが、精神だけではなく肉体も傷つけていたというお話です。

頂点に立った時の喜び、これ以上うえはなく、下からいつ引きづり下ろされるかという恐怖、肉体や技術の維持、それらの緊張や精神的なストレスが観ているものを包み込みます。

途中で演出家がニナに言った一言「君の道をふさぐ者は君自身だ」という言葉が特に印象に残りました。

八日目の蟬

角田光代氏のベストセラー小説を映画化したものです。

主人公の恵理奈は生後4カ月から4歳まで父親の愛人であった希和子に育てられます。希和子は恵理奈を誘拐し、薫として育てます。

恵理奈が大学生になり当時の閉ざされた記憶を思い出すというやり方でストーリーが展開されます

一言でいうと身勝手な男たちと強い女たちのお話です。全ての男性がそうではありませんが、この映画に出てくる男性は身勝手で都合の悪いことは何とか誤魔化そうとします。そんな男性に見切りをつけ母親である希和子や薫が成長して大人になった恵理奈は逞しく生きていきます。困難に正面から向き合い現実を受け止めとても力強い愛で子供を育てようと決意します。

私はこの手の映画に弱いのです。強い女性に憧れるため、強い女性の生き様をみると涙が止まりません。(これ以上強くなってどうするんだ。という説もありますが・・・)

また、子供の人格を形成する4歳までの大事な時期に実の子供を奪われた母親の苦しみも切なく胸が痛かったです。

綺麗な小豆島の風景と中島美嘉の切ない歌声も涙を誘います。今年1番の感動作でした。

蟬については1回目の会話では、「蟬は7日間しか生きられない。8日目に生きている蟬がいたら、みんな死んでしまって寂しいだろう。」という結論でした。でも、2回目の会話では「8日目に生きている蟬がいたら、今まで見たことのない世界が見れるかもしれない。それは、とても綺麗なものかもしれない。」という結論でした。

ザ・ファイター

アカデミー賞でクリスチャン・ベールが助演男優賞を、メリッサ・レオが助演女優賞をとったことで、有名になりました。

異父兄弟の兄と弟のボクサーとしての軌跡を描いた実話です。兄と弟はタイプの違うボクサーでどちらかというと兄の方が活躍していました。しかし、兄はドラックに手を染め犯罪を犯し禁固刑になります。弟をボクサーとして育てたのは兄です。母はマネージャーをしています。主人公の弟は兄との絆や母をはじめとする家族の絆、そして恋人との絆のバランスをとろうとしますが、それぞれ敵対していて、うまくいきません。それでもボクシングを続け、出所した兄の協力も得ながら世界チャンピオンになるという話です。

恋人は母をはじめとする家族や兄がいけないから弟は勝てないと判断し、家族や兄から遠ざけようとします。母はそれに気付き家族と一緒に恋人に敵対心を燃やします。兄は自堕落な生活をして、弟の恋人からも嫌われていますが、弟のことは一番理解しています。弟の恋人を説得し、トレーナーを連れ戻し、弟のために環境を整えます。弟も恋人と約束したものの兄の存在は不可欠だと悟り、恋人に理解してもらいます。

いろいろな人間関係に収拾がついたとき、集中してボクシングを練習できる環境になり、世界チャンピオンになります。

主人公からすれば、ボクシングに兄のアドバイスは必須であり、家族も大事。でも、恋人も大事なのです。どれをとるかではなく、全体がうまくいくのがベストです。その手助けを兄がやってくれます。不器用な人々が不器用ながらも一生懸命生きているというのを実感できた映画でした。

SP―革命篇―

今月は地震や節電の影響で映画館が営業自粛していたりして、2本しか観れませんでした。そのうちの1本がSP-革命篇‐です。SPは野望篇の続きでした。

尾形(堤真一)は自分の野望のために、ある行動を起こします。そこに何故か自分の行動に反対する信頼なる部下である井上(岡田准一)たちを配置します。

尾形は何故反対派である井上たちをその会場に配置したのか?明らかに有能な部下である井上たちを配置すること自体自分の野望が達成することを妨げる結果になる可能性が高いのに・・・

井上たちは予想します。もしかしたら尾形は自分たちに尾形の行動を止めてほしいのかもと・・・

理由は映画を見ても明らかにされませんでしたし、尾形が野望を実行した日の後に井上が読むであろう手紙も映画の中で明らかにされませんでした。ただ、尾形が捕まったり殺されたりするなら、井上の手にかかりたいと思っていたのは分かりました。

人間はたまに不思議な行動を起こします。それが目的達成のために合理的でないと知っていても敢えてその選択を選ぶというものです。

だからこそ、人間は不思議で魅力的なのかもしれません。

ジーン・ワルツ

海堂尊シリーズのチーム・バチスタの栄光とジェネラル・ルージュの凱旋を両方とも劇場で観た私は楽しみにして「ジーン・ワルツ」を観に行きました。見た感想は前2作とは全く違った作風でした。副題として医療ミステリーの衝撃作とありましたが、そもそも前2作と違ってミステリーではありません。ミステリーではないけれど、産婦人科が抱えた問題やそれにまつわる日本における医療の法規制に向き合った、いわば社会問題を取り上げた映画です。

私の顧問先にも産婦人科があるので、産婦人科の大変さは分かっていたつもりでしたが、現在の産婦人科医の減少などとともに周産期医療が抱えた問題も浮き彫りにしています。

また、代理母出産についての問題も提起していて、子供を産めない体になった主人公の女医は、自分の卵子を使って自分の母に代理出産をしてもらうという話です。これを知った仲間の医者が女医に聞きます「君のしたことは正しいと思っているのか?」女医は言います。「正しいとか正しくないとかじゃなくて、医者も患者と同じように沢山の矛盾を抱えた一人の人間なのよ。」・・・やられました。。深すぎます。。。

日本では代理母出産は認められていません。その理由は、第三者に懐胎、分娩などの危険を負わせることをはじめ、遺伝的問題、宗教的問題、契約的問題、法律上の問題、etc…確かにリスクを挙げればキリがない。これだけ多くのリスクを掲げられる以上、現実問題として法制度化するのは難しいと思います。逆に法制度化して様々なリスクを法制限したら、今よりもっと代理母出産は難しくなるような気がします。

このケースでは、代理母となった実母も幸せを実感している。実母に生命の危険が結果的になかった。女医は幸せを感じている。自分の精子を勝手に使われた男性はそのことをうすうす気が付いているという点が唯一の問題といえば問題ですが、女医が高い志を持っている限り問題は表面化しない感じでした。

代理出産の是非を問う部分もある映画でしたが、結論は映画を観ている個人に委ねられているような気がします。関係ないですが、私はこの映画を観て泣きませんでしたが、一緒に観た友人は終始泣きっぱなしでした。

相棒-劇場版Ⅱ

杉下右京は警視庁特命係係長の警部です。神戸尊は右京の部下で同じく特命係の刑事で警部補です。右京は組織内のしがらみとか上下関係とか利害関係を全く考慮せず、独自の正義の判断で己の進むべき道を突っ走ります。

こんな風に生きたいけど、もの凄いエネルギーが必要だなぁ。。この映画を見た正直な感想です。組織論的に見れば、右京は周りの人の感情や思いを全く汲み取らず、自分の信じる正義のみで突き進むので組織にとって異質であり、危ない存在です。周りの人との調和も取れないので出世もしません。

なぜ、この映画が支持されるのか。そう考えた時、組織の中で調和を取りながら生きていくのは大変な事だけど、自分は正しい道を歩みたいという願望が人々の心にあるからだと思います。右京さんみたいに直球ストレートでガンガンいくのは無理だけど、何とか正しい方向へ進みたいという願望があります。

この映画では警視庁の内部という自らが在籍している組織内で起っているので通常であれば、悩んだりするのでしょうが、右京さんは全く怯みません。正義感の塊のような生き方に共感する人がこの映画を支持しています。実際には組織の調和と正義のバランスを取るのはとても難しい問題です。

この映画のように分かりやすい正義なら良いのですが、現実の世界には何が正しくて何が正義なのかが微妙な事柄が沢山あります。この映画でも小野田官房長官が「何が正義かなんてその人の立場や環境によって違うんだよ。君の正義が正義とは限らない」と言ったその言葉が一番印象に残りました。

ノルウェイの森

主人公のワタナベ君を中心に話が展開されます。ワタナベ君とキズキ君と直子は高校生の時、一緒に遊んでいました。ワタナベ君の親友であり、直子の恋人であるキズキ君の自殺を期にワタナベ君と直子の人生の歯車が変化していきます。

1人の死が周りの人達の今後の人生に大きく影響していく。

私の知り合いの理事長がこんなことを言っていました「私はガンで死にたい。何故ならガンは知ってから実際に死ぬまでにある程度の時間がある。その間に自分と周りの人に心の準備をさせることができるから・・・」話を聞いたとき、感銘を受けたものですが、この映画を見てつくづくそう思いました。自分の死が周りの人にどう影響を与えるのかも考えて死なないと・・・

特に自殺で亡くなった場合、周りに大きな影響を与えます。この映画がそうでした。時として他の生命を死に導かせたり、迷わせたり・・・

直子は死を選び、ワタナベ君は苦しみぬいて生を選びました。まさに「強く生きる」というのをテーマにした映画でした。