レディ・プレイヤー1

メガゴジラVSガンダムこんな映画観たことない!という触れ込みで宣伝しているレディ・プレイヤー1ですが、これがスティーブン・スピルバーグ監督の映画でなければ、私はきっと観ていなかったと思います。あの世界のスピルバーグがこんな映画を??とちょっとビックリしながら観に行きました。

観てみて感想は、私が想像していたものと全く違うものでした。私はCG技術を駆使した現実離れしたSF映画は最近お腹いっぱいであまり感動しなくなってしまいました。ところがこの映画は全くの空想映画ではなく、ゲームにハマっていく人々を風刺した映画でもあるし、そういった意味で社会問題を取り扱った映画でもあります。レディ・プレイヤー1の舞台は2045年、2045年にはおよその純粋機械化経済の形を作り上げほとんどの仕事が無くなっていると予言している第4次産業革命が完成する時代です(→このことに関しては、2018年1月10日のブログ「人口知能と経済の未来」を参考にして下さい)実はそうなってクーポン型市場社会主義になった時、人々は何をしているのだろう?仕事をしないで暮らしていけたら人々はどう未来を過ごすのだろう?と思っていました。それを想像させる映画でした。また、この映画のように実際なるのではないか?と感じた映画でもあります。

人々は進化したゲームの世界にのめり込んでいきます。ゲームの世界ではどんな自分にもなれます。好みの容姿、好みの生き方、好きなように生きれます。自分の分身が仮想の世界で生活し、他の人に出会ったり戦闘ゲームの中で戦って賞金稼ぎをしたりしています。ゲームの中で死んでも現実は死にませんがゲームの中でのファイトマネーが0円になります。そんな世界にのめり込み、自分を強くするために武器を課金で買ったりしてお金が払えなくなったりした人は、現実の世界においてゲーム会社で強制労働させられたりします。よく考えると未来において有り得るんじゃないか?と思いました。その他にも古き良き時代の映画やアイテムが多数出てきたり、現実(リアル)が一番大事だと気付かせてくれたり、本当に多くのメッセージがこの映画には隠されています。流石世界のスピルバーグ!と言わせる映画でした。