小説を読んだ後居ても立っても居られなくなり、映画「国宝」を鑑賞しました。鑑賞する前に思っていたことはあんな壮大な小説をどうやって3時間で表現するのであろうか?という疑問です。小説最初の100ページくらいはすぱっと飛ばされて、いきなり父親が抹殺されるお正月の宴のシーンから始まります。当たり前ですが、細かいことはどんどん切られ最初の10分くらいで小説200ページくらい進んだのではないでしょうか?私は小説を読んでいるから分かるけど、映画だけ観ている人は分かるのかなと思いました。少年期の喜久雄から青年期の喜久雄に移り変わるシーンでは背中のミミズクの刺青が最初に出ます。これでそれが青年期の喜久雄と分かります。上手い演出だなと感心してしまいました。ちなみにミミズクの刺青は亡き父の刺青と同じでミミズクは恩を忘れず世話になった人に鼠や蛇をもってくるということを小説の方で書いていました。小説では喜久雄が自分が不利になっても義理を守るということも描かれていますが、映画はやはり見せるものなので舞台のシーンに多くの時間が費やされていました。まさに映像美でした。こんな文化が日本にあったのだと再確認できるほど素敵でした。
その分、内容は削られるわけです。話の早い展開にどんどん行くなと思ってみていました。この映画は小説「国宝」の特に映像美を生かしやすい舞台に焦点をあてて描かれています。小説が壮大すぎてスピンオフ映画が沢山できそうです。喜久雄中心に話は進むわけですが、喜久雄にとって俊介以上に重要な役が子供の頃から喜久雄を坊ちゃんと呼ぶ2歳年上の徳次です。小説では喜久雄の娘覚せい剤でおぼれた綾乃を救うために指を詰めて暴力団から取り戻します。常に喜久雄の盾となり喜久雄を守ります。そんな徳治の出番がないのが残念でした。やはり見る順番は小説見てから映画を観るのが良いですね。映画では内容がどんどん飛ばされていくのでその一言にも奥があると気が付きづらいですが、小説を読んでいると痛いほどその一言一言に意味があるのが分かります。ただ、舞台のシーンはやはり映画は圧巻でした。小説で描いていた細かな描写を映像にするとこんな感じなんだと感動します。是非、小説を読んでから映画を観ることをお勧めします。