真夏の方程式

ご存じ東野圭吾氏の小説を映画化したもの。主人公の湯川教授には福山雅治氏、おなじみの映画です。

東野氏の小説はそのトリックや何重にも謎があるところに面白さがあるのですが、この映画に関しては難しいトリックは一切なし。私たちにも予測できるトリックです。従っていつもやる難しそうな計算シーンもなく、トリックを実証するための実験もありません。湯川教授は実験をするまでもなく、いとも簡単に見破ってしまいます。

今回の事件は15年前の殺人事件も絡んでいます。沢山の大人が1つの事件を違う接点から抱えています。それぞれの立場は違いますが、それぞれが言葉で示すことはない闇を抱えています。

決してひも解いてはいけない謎がそこにはあります。それは多くの大人が違うやり方で愛を中心として守り抜いてきた生き方のようなもの・・・

湯川教授は謎があるとそれを解こうとします。いわばこれは彼の本能のようなもの。決して抑えることはできない性なのです。

この映画を観て初めて気が付きました。湯川教授は何でもズバズバ他人のプライバシーに侵入してくるのではなく、ただ、知りたいだけなのだと・・・それを知った上でどう判断するかは個人の自由だと・・・湯川教授は真犯人を告発するようなことはしなかったし、知らずに加担してしまった人を自分のやり方で勇気付けます。実は人間味のある人なんだなぁと感じました。

湯川教授が多くのシーンで残すメッセージみたいなものは、人は自分側からだけでなく、違う方向や全体を見た上で選択するのが大事だということ。すべてを知った上で乗り越えられるということがあるということ。今回は論理的な湯川教授だけではなく、血の通った湯川教授も観ることができました。真実は1つだが捉え方は自由で他人が決めつけるものではないと、そんな風にも詠める映画でした。