ある閉ざされた雪の山荘で

東野圭吾氏の小説が実写映画化された作品となります。東野圭吾氏の作品は小説も読んでいる場合が多いのですが、これは読んでいないので何も知らぬまま新鮮な気持ちで観ることができました。登場人物が劇団員でオーデションが行われるという設定で殺人事件が起きますが、本当に殺されたのか、芝居の設定なのか、がコロコロ変わりながらストーリーが展開します。

二転三転して真相が明らかになりますが、観た後に疑問が残りました。その1:久我君がいた意味は何なのか?全員同じ劇団員でしたが唯一部外者である久我君は一体だれが誘ったのか?久我君は劇団員を憧れで知っていましたが、劇団員の中で久我君を知っている人はいないようでした。演出家が選んだとされていましたがそうでないなら誰が誘った?しかも縁もないのに大事な場所に誘うのだろうか?
その2:久我君が事件を暴かなかったら、亡くなった3人は亡くなった前提となって過ごさなければならないのか?一般人ならともかく劇団員なのでそれは不可能ではないか?麻倉さんの無念は晴れるが未来の事は考えていたのか?と疑問が残りました。

ほかのトリックが緻密だったのでその部分の粗さを感じてしまいました。小説を読んでいたらその部分の矛盾も分かったのでしょうか?東野圭吾氏の作品はその辺は抜かりがないので何とも変な気分で観終えました。小説を読めばその辺の矛盾も分かるのかな。もしそうなら映画の作り込みをもう少しちゃんとした方が良いと感じた作品でした。