ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~

1994年のリレハンメルオリンピックでのスキージャンプ団体戦で日本は金メダルまであと一歩のところまで来ていましたが、最後にエースの原田選手のジャンプが失敗して惜しくも銀メダルでした。次こそは金メダル!を目標にして各選手は頑張っていました。4年後1998年の長野冬季オリンピックでの選手選考会で前回リレハンメルオリンピックで一番飛んだ西方選手がオリンピックまであと652日というところで着地の転倒で怪我をしてしまいます。何としても長野オリンピックに出たいと願う西方選手は長野オリンピックまであと27日というところで長かったリハビリを終えて大会に出場し優勝します。でも日本代表選手8人に選ばれませんでした。前回のオリンピックでジャンプを失敗した原田選手は選ばれています。

原田のせいで銀メダルになったのに何故あいつが選手で俺は選ばれなかったのだと憤ります。その時、西方選手にオリンピックでのテストジャンパーをやらないかという誘いがきます。初めは裏方の仕事なんてまっぴらごめんと思っていたのですが、結局は受けます。そこには足のケガで代表落ちした選手、女子高校生のジャンパー、聴覚障害を持つジャンパーなど25人がいます。いやいや参加していた西方選手ですが、聴覚障害を持つまっすぐな夢を持つ選手や、女性にスキージャンプの種目が無かった時代にテストジャンパーをやる事が女性がオリンピックで飛ぶ唯一の方法と夢を語る女子高生などに触れる事により西方選手の気持ちも少しずつ変わってきます。

オリンピック当日、西方選手は複雑な思いでジャンプ台を見守っていました。天候は悪化し視界が最悪の状態で原田選手が飛びます。またしても失敗。日本は団体4位になってしまいます。ジャンプは2回飛べるのですが、天候悪化のためここで終わらせるか(日本は4位のまま)2回目もやるかという審判が行われます。そこでテストジャンパー25人全員が無事に飛べたら競技を再開することになります。テストジャンパーにとっても危険なジャンプです。コーチは未来ある選手を危険な目に遭わせられないと断りますが、テストジャンパーたちは飛びますと言います。その後どうなったかは皆さまご存知の通り。長野オリンピックの金メダルは選手だけでなくこんな裏方に支えられてみんなで取った金メダルでした。暑い時期に冬のオリンピックの話もクールで熱くて良かったです。