怪物

カンヌ映画祭で脚本賞とクィア・パルム賞を受賞した作品です。一言でいうととても深い映画です。怪物という名前の映画なので誰かとんでもない怪物(外面的には良い人で中身が怪物の人)の映画かと思って観ましたが、中身は全然違うものでした。最初シングルマザーの早織目線で映画が撮られます。そうか怪物は先生たちだと確信します。対応が棒読みで心が全くこもっていません。早織は真実が知りたいだけなのに心もなくただ棒読みに謝るばかり。早織にとって「私はが話しているのは人間?」というのも納得できます。

突然、怪物だと思っていた保利先生目線で映画が撮られだします。え?全然違うじゃない!何でちゃんと言わないの?と保利先生目線で言うと、早織は真実ではないことに言いがかりをつけてくくるモンスターペアレントに見えるし、校長はじめ上司の先生方も事なかれ主義の怪物です。あることない事書き立てるメディアも怪物です。

頭が混乱していると子供たちの目線で撮影が始まります。子供にとっては虐待をする親が怪物であったり、いじめをする学友が怪物であったり、自分自身が怪物であったりします。この様々な視点を通して描かれる中で放火である火事のシーンが定期的に出てきます。その犯人はもしかしてあのいたいけなあの子?という疑問を抱かせますが結論はでません。もしかしてそれを決めつける事で観る人を怪物にしてしまう映画なのかも・・・と想像すると怖かったです。

最後のシーンである綺麗な草むらを泥だらけになりながら笑いながら少年らが走るシーンも、え?助かったの?それとも天国なの?と分からないまま終わります。是枝監督特有の観る人によって解釈が違うというストーリーにまたしてもやられました。考えれば考えるほど深い映画でした。