ANNIE

この映画は前回映画を観た時に予告編を流していました。予告編では
“Tomorrow”が流れていました。その曲を聴いた瞬間、何故か幸せな気持ちになれたので、映画も観に行きました。

アニーは幼いころレストランで置き去りにされ、その時両親が必ずこの子を迎えにくるというメモを大事に持って毎週金曜日の夜にレストランの前で両親が迎えに来るのを待つ生活をしています。今日は辛い一日でも明日は良い日になると信じて・・・

アニーは、州から出る手当が目的のハニガンが経営する孤児院に住んでいます。ハニガンは手当が目的なので、孤児にはとても冷たいです。また、裕福で市長を目指すスタックスは投票率を上げるため孤児であるアニーに親切にし、アニーを自分の家に一時的にあずかります。手当が目的のハニガンや好感度が目的のスタックスなどの欲まみれの大人に囲まれていますが、アニー自身は明るく天真爛漫でだからといって、いい子過ぎず自然体なのが良かったです。

欲まみれの大人たちがアニーの自然体に触れ次第にいい人になっていきます。アニーは結局本当の両親には会えませんでしたが、他の幸せを手に入れました。自分が願い続けたことでないことでも違う形で幸せは訪れるのです。これ以外はダメとするのでなく、他の形でも幸せはあるんですね。

この曲も耳に残るメロディです。また一瞬で幸せな気分になる曲です。メロディの奏でる力を実感した映画でした。

2014年映画観賞

毎年12月のカテゴリー映画では、私が観た今年良かった映画BEST3を発表しています。
1位:アナと雪の女王
この映画は公開されたばかりに観に行って2014.3.18のブログに感想を書いたのですが、ここまでブームになるとは思いませんでした。何しろ耳に残るメロディが盛りだくさんで、子供達の中には全ての歌を身振り手振り付きで歌えるという強者も居るようです。今年話題の映画ということは間違いありません。

2位:永遠の0
この映画の感想も2014.1.22のブログで書いています。日本人であれば観ていただきたい映画です。

3位:猿の惑星ライジング新世紀
ご存じ猿の惑星シリーズ最新作です。2014.10.12の感想で書いています。主人公のシーザーが人間以上に人格者で今考えるとちょっと野生に欠けるというか動物ならもっと野暮ったい部分もあっていいのではないかと思いましたが、心に残る映画でした。

皆さんは今年1年はどんな年でしたか?私は漢字で言えば「忙」でした。次から次へ色々なことがあり目が回るような忙しさで毎年50本近く観ている映画も今年はあまり観れませんでした。でも来年も時間を作って映画館に行きます。映画を観ることは様々な事柄を疑似体験できるので私にとっては必要な出来事です。年末年始は観ませんけどね。今年も1年お世話になりました。独立開業して5回目の年末を迎えますが、年末までもバタバタです。皆さんも充分休養されて、来年またお会いしましょう。
良いお年をお迎えくださいませ。

グレース・オブ・モナコ

この映画はケリーバッグで有名なグレース・ケリーを主人公にした映画です。現実に存在した女性の映画はできるだけ観るようにしています。この映画が始まって早々~この映画は真実を基にしたフィクションです~という字幕が出ます。えっ?真実を基にしたフィクションって、フィクションなのノンフィクションなの???という疑問のまま映画が始まります。

大女優だったグレース・ケリーはモナコ王に嫁ぎ女優業を引退しますが、引退してからの様々な出来事が語られています。モナコは小さな国ですが、ケリーが嫁いだことで救われたと言われています。フランスとの政治的な衝突もケリーが女優の大演技をして救ったこととして撮られています。

彼女は本当は女優の世界に戻りたかったが、実際の世界で大演技をすることでモナコを救ったということに映画ではなっていますが、最初にこの字幕が出たことで、どこまでが本当なの?どこからが違うの?という部分が気になってあまり映画に集中できませんでした。

観終わった時、おそらく大きな歴史は真実ですが、ケリーの感情的な動きや行動(演技かどうか)はフィクションだということだと思います。大女優だったので、演技か本心かも見分けることも困難ということが言いたいのかもしれませんが・・・演技でもケリーが覚悟をしたことで(覚悟している演技をしたことで)国王の気持ちも戻ってくる(現実にもそうなる)というのは現実にも起こり得ると思いました。

猿の惑星:新世紀(ライジング)

初代猿の惑星は再放送にて見ました。前作の猿の惑星:創世記(ジェネシス)は映画館で観ましたが、何よりも今回の新世紀(ライジング)は一番楽しめました。予想以上の作品です。

舞台は2020年代の地球。猿インフルエンザが蔓延し人類の90%が死滅していました。それでも生きながらえた人類はサンフランシスコに小さな町を作って暮らしています。ある時町の電気が足りなくなり森にあるダムの修理に行きます。そこで人間とエイプ(猿)は鉢合わせてしまい、びっくりした人間はエイプを銃で撃ってしまいます。銃の音を聞きつけ仲間のエルプたちが大勢来ます。人間5~6人はすぐに周りをエイプで囲まれますが、そこにシーザー(主人公の猿:幼い時に人間に育てられた)が現れて二度と森に立ち入るなと言って人間を解放します。

エイプの中には人間に囚われ化学実験につかわれて、人間に対し嫌悪感を持つものも居ます。いわゆる内部の思想の相違が人間と関わったことにより露わになります。反逆心が高まり一番弟子のコバはシーザーを撃ちます。シーザーを銃で撃って失脚させたコバはシーザー亡き後の支配者となりますが、仲間であっても従わないものは殺します。シーザー派のエイプは牢屋に入れられます。シーザー殺しも銃があったということで人間の仕業に仕立て上げ人間の町に戦争を仕掛けに行きます。

殺されたと思われたシーザーですが、瀕死の状態でしたが人間が見つけ看病して復活します。人間の中にもエイプ(猿)と共存していこうとする人々と猿の強靭な肉体と知能におびえ殺そうとするものもいます。つまり、どちらの世界にも共存派と攻撃派がいるのです。

攻撃派が取った行動が相手側に全体の裏切りとして映ります。何ともやり切れない感じです。。シーザーの息子も人間でいう中二症状のような反抗期があり攻撃派に付きそうになったり、猿の世界も人間の世界に似ています。

ある時シーザーが言います。「エイプ(猿)は人間より上だと思っていた。(何故ならエイプはエイプを殺さないから)でも、エイプは人間並みに成り下がってしまった(何故ならエイプなのにエイプを殺すようになったから)」という言葉が特に印象的でした。この映画の人間と猿の世界は、どこかの国と国にも置き換えられると思います。何故人間は人間を殺すのでしょう。何とも考えさせられる映画でした。

舞妓はレディ

鹿児島弁と津軽弁が混じった訛りのある少女が舞妓になるまでの奮闘を描いた作品です。
ほんわりした話し方の京都弁がなかなか上手く話せません。正座も短時間で足がしびれてしまいます。それだけでなく、踊りの稽古、つつみの稽古、三味線の稽古、全てが初体験です。眉はボウボウで頬っぺたが赤い田舎の子が厳しい修行を経て舞妓になります。その美しいこと。可愛いこと。私は特に着物好きなので次から次へと出てくる着物にうっとりでした。

映画の中で舞妓は芸妓よりも技術もなく未熟なのに最近では舞妓の方が持て囃されていて変だと男性が話すシーンがあります。そう舞妓より芸妓の方が技術も何もかも上なのです。でも、芸妓より舞妓の方が華やかな衣装や簪をします。きっと、芸でカバーできない分、衣装でカバーしているのだと知りました。

主人公の”舞妓になりたい”という強い意志が辛い修行に耐えたのですが、周りの芸妓たちの器の大きさや時には厳しく時には優しい寛容さにも主人公にとっては良い経験だったと思います。

辛くても大変でも”こうなりたい!”という意志が強ければきっと何でも乗り越えられるのだろうと思わせてくれた映画でした。

大いなる沈黙へ

この映画は21年の歳月を費やして制作されたドキュメンタリー映画です。フランスアルプス山脈に建つグランド・シャルトルーズ修道院という男性修道院の生活を音楽なし、ナレーションなし、照明なしで淡々と撮っています。169分という3時間弱の長い映画でヨーロッパ映画祭のベストドキュメンタリー賞を受賞したのをはじめ数々の映画賞を受賞しています。

都内で観れるのは1カ所のみで毎回チケットは完売でこんな混んでいる映画館は久々でした。私は映画を年間50本近く観ますが、こんな映画は初めてでした。何もかも不思議な感じ・・・ナレーションもなく、音楽もなく淡々と修道院の生活が映し出されるので次第に眠くなってきます。良い意味で寝てしまう映画です。

この映画は観ている人に何かを訴えてきません。淡々と生活がひたすら映し出されます。全ては観ている人に委ねられています。不思議な感覚の映画でした。修道院は結構人生を色々経験した人が悟りを拓く見地から入るものだと思っていましたが、結構若い人も修道院に居るので、この人たちは世の中を捨てて何故ここにいるのだろう。何があってここに入ろうと思ったのだろうと余計な事を考えてしまいました。

チケットを頂いた方に感謝。貴重な体験ができました。

春を背負って

主人公の亨(松山ケンイチ)は都会の投資銀行で働くトレーダーです。毎日何億もの金額を動かしています。ある時山小屋を経営している父が登山客を助けようとして亡くなります。亨はお葬式で実家に戻り、父がやっていた山小屋まで登ります。そこで父の後を継ぎ山小屋を営もうと思うのです。母は反対します。山小屋をやるというのはそんなに甘いものじゃないと・・・それでも亨はやるといって会社を辞めてしまいます。

山小屋経営は1回40キロから60キロの食料品を担いで山を登ります。都会の生活ですっかり軟弱になってしまった亨はそれすらできません。ゴロさん(豊川悦司)はそんな亨とは逆に荷物を楽々背負い、亨の荷物まで持って登って行きます。

ゴロさんは亡くなった亨の父が枕元に立って、亨が一人前になるまで山小屋を手伝ってくれと言われたと山小屋経営を手伝います。亨の父に山で遭難しかけたときに助けられたという愛ちゃん(蒼井優)が運ばれた食材を料理して山小屋に泊まった人たちに提供します。そうやって3人で何とか山小屋をやっていきます。

この映画は人間も自然の中に身を置いている動物の一種なのだと実感できます。都会で生活していると男も女もありませんが、もしくはできるだけ性差をなくそうとしていますが、自然の中ではやはり男は男、女は女なのです。男性じゃなくちゃ50キロもある荷物を背負って山を登ることなんてできないだろうし、女性であるから山小屋で男性は気が付かない気配りができるのです。

この映画を見て、人は自然の中で生かされ、そして生きているんだなぁと実感しました。ゴロさんが途中で言った「人は大人になるほどいろんなものを背負って生きなきゃいけない。地図も羅針盤もない状態で、それでも選択して生きなくちゃいけないんだ」というセリフが特に印象的でした。

マンデラ 自由への長い道

2010.3.23にカテゴリー映画で感想を書いた映画「インビクタス 負けざる者たち」も、ネルソン・マンデラの映画です。インビクタスは2010年に観た映画で一番印象が残り、かつ、一番好きな映画でした。

今回観た映画は、インビクタスより前の時代を描いたものです。今回は、マンデラの若いころ、弁護士として働いていたころから始まって、2回目の結婚をしてその後反逆者として捕まり長い期間刑務所で過ごし出てきて南アフリカの黒人初の大統領になるまでの話です。

インビクタスは出所してから大統領として何をやったかというお話しです。インビクタスのマンデラは人として完璧でしたが、若いころのマンデラは完璧ではなく、やんちゃさや好色さもあって人間くさいです。

まず、この映画を観て、インビクタスをDVDで観ればもっとマンデラワールドを知ることができるのではないでしょうか。2013年の12月にネルソン・マンデラが95歳でお亡くなりになりましたが、27年間も投獄されていたのに長生きだなぁ。逆に投獄されていると不摂生をしないから長生きなのかな。。と関係ないことに感心してしまいました。

人の一生というのは、どんな物語よりも深いもの。大統領引退後の映画も観たいと思いました。

ネイチャー3D

今月は私の事務所は最大の繁忙期で映画も観に行けなかったのですが、ようやく観に行きました。なんだかとても癒されたくて「ネイチャー」の3Dを観ました。

癒されに来たのに軍隊アリが大きな昆虫を襲ったり、カメレオンや蛇が獲物を狙ったり、全然癒されないよ~と思っていたら次第にいい感じになってきました。大自然に囲まれてちょっとうつらうつらしてしまいました。ラストの方で突然ワニがヌーを襲うシーンで目が覚めました。癒されたり、ビックリしたり激しかったですが、自然の根源となるものは水(雨)なんだとしみじみ実感しました。

エンドロールの後、4分位撮影裏話(過酷な環境でどう撮影したのか)が流れます。個人的にはこのエンドロールはあった方が数倍映画の価値が上がるような気がします。今回は自然ものだったので追加料金を払って3Dで観ましたが、映画館が悪いのかそれともそんなものなのかは不明ですが、3Dがゆるく、これなら2Dで観ても変わらなかったかなと思いました。

白ゆき姫殺人事件

今月はLIFEの感想を書こうかと思っていましたが、この映画の印象が強く残ったのでこちらを書くことにしました。湊かなえ氏が書いた小説を映画化したものです。白雪姫のように美しいOLが殺されます。マスコミ関係者である赤星さんは取材を進めます。

その中でツイッターの発言や取材で行ったインタビューなどを通して、加害者が特定されていきます。次第に明らかになる個人情報までがインターネット上の情報として流れます。加害者と言われた人間は追い詰められ自殺しようとまでします。本当は犯人じゃないのに・・・

この映画の斬新さというか新鮮さは同じ真実であっても見る人によって違うということをまざまざと感じたことです。一つの真実があって、Aさんから見るとその事実はこう見えて、Bさんから見るとその事実はこう見えるという具合に、真実は一つなのに感じ方はそれぞれで脳はどちらかというと都合の良いように解釈するのです。

ですから、赤星さんはインタビューをすればするほど、彼女が犯人に違いないと確信してしまい報道までも彼女が犯人かのような報道がされます。インターネット上では疑われた彼女の出身や本名、顔写真まで公開される有様です。

報道の怖さ、情報の怖さ、現在社会の怖さを肌で感じた映画でした。