空飛ぶタイヤ

池井戸潤氏の小説を映画化したものです。池井戸氏の作品は下町ロケットなどの代表作のように仕事をすることの難しさ、困難を乗り越えた時の何とも言えない充実感などが特徴で、私は池井戸氏の小説が大好きです。空飛ぶタイヤは大型トラックの脱輪事故で1人の主婦が亡くなりその脱輪原因がこの小説の主人公の経営する整備会社(中小企業)の整備不良と判断されたことから始まります。

主人公の赤松社長は調べているうちに自分の会社の整備不良ではないのでは?という疑問が生じます。そこにあったのは大企業のリコール隠し。過去にも同じような事件があり全て整備不良として片付けられていました。その犠牲となった中小企業に掛け合っても、もう過去の事だからと同志として戦ってくれる人はいません。俺がやらなくて誰がやる!と四面楚歌になりながらも赤松社長は奮闘します。

マスコミを使おうとしても上部で打ち消され、銀行からは借入金の早期償還を迫られ、従業員の一部は辞めていきます。それでも一人で戦う赤松社長の姿を見て心を動かされる人がいます。自分の中にある正義感のようなものが呼び起こされたのだと思います。家庭の中にも、会社の中にも、大企業の中にも、銀行の中にも・・・それで最後に大企業のリコール隠しが公になります。泣きそうになりました。また、この映画のテーマ曲のサザンオールスターズの「戦う戦士(もの)たちへ愛をこめて」がこの映画にピッタリです。

万引き家族

ご存知カンヌ国際映画祭でパルムドール賞を受賞した作品です。お父さん、お母さん、お母さんの妹、子供、おばあちゃんが5人で暮らしています。お父さんは日雇い、お母さんはクリーニングのパートをやっていますが、おばあちゃんの年金とそして万引きで生計を立てています。そこに虐待を受けていた少女を保護して6人家族になります。本当は血が繋がっていない6人家族です。

少女を保護した時寒い冬で少女は寒い中傷だらけで飢えていました。ほんのちょっと暖かいところで保護して食事を取らせて帰らせるつもりでした。でも、送りに行ったら男女の争う声が聞こえてきて「生みたくて産んだんじゃない!」と叫んでいた声を聞いて、この子を保護しようと決めたのです。3カ月経ったある日テレビでその子がいなくなったことが報道されていました。何故3カ月もいなくなったのに警察に届けていなかったのか?非難は両親に向けられます。そこから徐々に6人家族に困難が襲ってきます。

本当の家族でないので、おばあちゃんが死んだときも公にできませんし、子供が入院した時も保険証とかないのです。社会から逃げるようにして生きていた家族に不都合が生じてきます。身代金も請求していないから誘拐じゃないと家族は思っています。虐待から小さな子供を保護しただけと・・・でも捕まった時、世間では誘拐犯になります。また、不器用に生きてきた家族なのでその辺もうまく表現できません。しかも万引きをしていたり、過去に死体遺棄をしたりしたこともあってとても不利に状況が進みます。

この映画の凄いところは押し付けがないこと。誰が悪いとか誰がいいとかそのような決めつけがない点です。少女は本当の親の元に帰りますが、母親に怒鳴られ、お兄ちゃんもいなく一人で遊んでいるシーンがなんとも切なくなります。本当の親と住むこと=子供の幸せではないというところも考えさせられて、だからと言って万引き家族の良い部分もクローズアップされることなく何となくモヤモヤしたやりきれない気持ちで映画が終わります。そのリアルさがパルムドール賞を取ったのだと思います。

ラプラスの魔女

こちらの映画は2年前に本で読んだものです。そのブログについては、2016年6月5日にカテゴリー映画にて載せてあります。内容はそちらに記載してあるので興味がある方はそちらを見てください。http://hy-tax.com/blog/?p=163
本を読んで大体イメージがついていました。青江教授が櫻井翔さんというのはかなりイメージが異なりましたが、不思議な少女円華に広瀬すずさんや謎の少年謙人の福士蒼汰さんは役のイメージにぴったりでした。

映画の中では硫化水素中毒死した水城の妻がなぜ謙人に協力したのかが謎のまま終わっていましたが、本にはそのことが書かれています。また、謙人が最後に選んだ映画の撮影地として父が購入した廃墟というのが本ではあまりイメージできませんでしたが、画像になるとリアルに分かりました。本と映画を両方みると様々な部分が補完できより一層物語を知ることができます。なかなか楽しめました。

この映画の感想としては、極悪な人が一人出てきます。理想が高すぎて自分の思い通りにいかないとそれを一度リセットして新たにやり直すという考えの持ち主でした。人には誰しも欠点はあるもの。それを受け入れてそれでも愛していくというのが家族だと思うのですが、理想が高いのは良いことですが、高すぎるというのはやはり現実逃避につながるので考えものですね。

レディ・プレイヤー1

メガゴジラVSガンダムこんな映画観たことない!という触れ込みで宣伝しているレディ・プレイヤー1ですが、これがスティーブン・スピルバーグ監督の映画でなければ、私はきっと観ていなかったと思います。あの世界のスピルバーグがこんな映画を??とちょっとビックリしながら観に行きました。

観てみて感想は、私が想像していたものと全く違うものでした。私はCG技術を駆使した現実離れしたSF映画は最近お腹いっぱいであまり感動しなくなってしまいました。ところがこの映画は全くの空想映画ではなく、ゲームにハマっていく人々を風刺した映画でもあるし、そういった意味で社会問題を取り扱った映画でもあります。レディ・プレイヤー1の舞台は2045年、2045年にはおよその純粋機械化経済の形を作り上げほとんどの仕事が無くなっていると予言している第4次産業革命が完成する時代です(→このことに関しては、2018年1月10日のブログ「人口知能と経済の未来」を参考にして下さい)実はそうなってクーポン型市場社会主義になった時、人々は何をしているのだろう?仕事をしないで暮らしていけたら人々はどう未来を過ごすのだろう?と思っていました。それを想像させる映画でした。また、この映画のように実際なるのではないか?と感じた映画でもあります。

人々は進化したゲームの世界にのめり込んでいきます。ゲームの世界ではどんな自分にもなれます。好みの容姿、好みの生き方、好きなように生きれます。自分の分身が仮想の世界で生活し、他の人に出会ったり戦闘ゲームの中で戦って賞金稼ぎをしたりしています。ゲームの中で死んでも現実は死にませんがゲームの中でのファイトマネーが0円になります。そんな世界にのめり込み、自分を強くするために武器を課金で買ったりしてお金が払えなくなったりした人は、現実の世界においてゲーム会社で強制労働させられたりします。よく考えると未来において有り得るんじゃないか?と思いました。その他にも古き良き時代の映画やアイテムが多数出てきたり、現実(リアル)が一番大事だと気付かせてくれたり、本当に多くのメッセージがこの映画には隠されています。流石世界のスピルバーグ!と言わせる映画でした。

坂道のアポロン

男性の医師が患者の子供からピアノを弾いてとせがまれるシーンから始まります。その主人公(ピアノが弾ける医師)の高校時代の回想シーンが映画の内容です。場所は佐世保(長崎)で坂の多い場所です。主人公の薫(男性だけど薫です)は、成績優秀な友達付き合いが苦手な転校生です。それがその高校の不良少年の千太郎と出会い音楽を通じて友達になっていく姿が描かれています。薫は昔からピアノをやっていたのでピアノは得意です。千太郎はジャズをこよなく愛するドラマー。成績優秀ピアノ好き友達付き合い苦手奥手で繊細な薫は、ボンボンなのでボンと呼ばれます。他校でも名前が有名なほど不良でドラムが大好きだけど誰も怖くて近づかない千太郎は、千と呼ばれます。千の幼馴染の律子はこの二人に自分の親がやっているレコード店の地下室(防音室)でセッションさせます。律子のお父さんも音楽好きで、そこに東京の大学に通っていたトランペットの淳兄も加わり4人でセッションしたりします。

性格もタイプも考え方も全く違うボンと千は音楽を通じて友情が芽生えてきます。ボンは金持ちだけど母親に捨てられ父親の都合で親戚の家に預けられ孤独を感じています。千は多くの弟や妹に囲まれ一見幸せそうですが、兄弟は本当の兄弟ではなく実はハーフで生まれてすぐ教会に捨てられた過去を持ちます。淳兄が東京の大学で学生運動をしていたり、アメリカ軍人が多く住む佐世保という地域であったりとボンと千の出会いは1966年で高校生です。淳兄は団塊の世代、ボンと千はそのちょっと下の世代です。その時代に青春を謳歌した甘く切ない物語です。性格がどんなに違くても音楽をすれば一つになれる。音楽って偉大だなとつくづく感じた映画でした。映画の題名の坂道の部分は佐世保は坂道が多いこと。ちょうど高校に行くのも急な上り坂です。そしてアポロンはギリシャ神話の音楽の神様アポロンとそして千がモデルになったときアポロンの姿でモデルになったというのも由来ですかね。

ゴッホ~最期の手紙~

今月は忙しく映画が観れないまま月日は流れこのままではブログが書けない!ということで焦って観てきました。この作品はゴッホ展を観たときから気になっていて是非観たいと思っていた作品です。映画自体も1時間50分と短いので忙しい今の時期にはピッタリでした。

この映画は実際にゴッホが書いた人物や風景がモチーフになっていて総勢100人以上の画家が作った作品です。動く絵画のような作品なので実際にゴッホが描いた人物が多数出てきます。テーマはゴッホの死因です。ゴッホは37歳の時に自殺したということになっていますが、腹を拳銃で撃った。普通自殺しようとするなら腹は打たない。自分で腹を撃つと近すぎて貫通するのに弾丸は体内に残った。そもそも向きが不自然など本当に自殺なのか?という謎の死です。

ピカソなどは生前中に絵が売れてやりたい放題で死んでいきましたが、ゴッホは生前に売れた絵は1枚で貧困にあえいでいたようです。もう少し長く生きていたら日を浴びる機会もあったかと思うのですが、ゴッホの生活を支えていた弟もゴッホの死後あとを追うように死去したこともあり、何となく寂しい思いが残る映画でした。

祈りの幕が下りる時

ご存知、東野圭吾氏の新参者シリーズの最終章を映画化したものです。公開されたばかりですが、早速観に行きました。東野圭吾氏の小説はいくつもの事件が複雑に絡み合い1つの接点に結びつけているというのが特徴ですが、今回の「祈りの幕が下りる時」は、これでもか。これでもか。というくらい多くの人が複雑に絡み合ってきます。しかも現在と過去も複雑に絡み合い非常にスケールの大きな話になっています。とても長い歳月も絡んでくるので平気で26年前とか18年前とかいう話が出てきます。どれだけ遡るんだよ!と観ている方も気が遠くなります。

複雑すぎて内容整理しながら観ていないと、途中で誰が誰だか分からなくなります。それも考慮してか、警察庁での関係図などの構図は頭を整理する上でも役立ちます。ただ、その関係性を理解するのが精いっぱいで犯人とかは、真相が近づくギリギリまで分かりません。まぁ、下手に真相は何か?と注視して観るより、真相は明かされるまでほぼ分からないと考えて観た方が気が楽ですね。親子の愛というのも深く感じられた映画でした。

また、日本橋や人形町界隈がロケ地になっているので、その辺が詳しい人は様々なシーンに実際のお店などが出てきて楽しいです。私も日本橋界隈で働いていたことがあるので行ったことある所ばかりで楽しめました。

2017年 映画鑑賞

毎年12月のカテゴリー映画のブログは、今年観た映画BEST3を発表しています。私が私の視点で発表しているのでどうかとは思いますが・・・

1位:SING
こちらは2017年3月30日のブログに感想を書いていますが、大スクリーンで観るに相応しい映画でした。耳にいつまでもメロディーが残りサントラ盤を買ってしまったほどです。

2位:22年目の告白
今年は2位以下の順位が拮抗していて、美女と野獣 ラ・ラ・ランド 3度目の殺人 ギフト 家族はつらいよ2 君の膵臓を食べたい オリエント急行殺人事件などが頭に浮かびましたが、やはり印象が残ったという点で22年目の告白ですね。こちらは2017年7月3日のブログに感想をかいています。また、予想外の展開にどんどん中に引き込まれるそんな映画でした。

3位:家族はつらいよ2
こちらの感想は2017年6月8日のブログに書いています。東京税理士会がスポンサーをしているから選んだわけではありませんが、家族って面倒くさい。でも何だかんだ言ってやっぱり家族っていいなぁと思える映画でした

今年は30本の映画を見ました。毎年50本近く観ていましたが、なぜか忙しく今年は30本しか観れませんでした。でも、隙間時間があれば来年も最低でもこのくらいは見たいと思っています。
皆様、今年もブログを見ていただきありがとうございました。よいお年を・・・

火花

ご存じ小説で芥川賞を取った「火花」の映画版を観てきました。お笑いコンビスパークスの一人である徳永と、その先輩でありお笑いコンビあほんだらの一人である神谷さんとの話です。自由奔放で観客目線ではなくあくまでも己のやりたい事をやる神谷さんの芸風に憧れ、徳永は神谷さんに弟子にさせて下さい!と申し入れます。そこから神谷さんと徳永の関係は始まります。

自分が面白いと思うことが観客も面白いと思うとは限らないと思い徳永は観客目線で芸風を変えていくとたまにテレビに出れるようになります。神谷さんは相変わらず我が道を行きます。神谷さんは徳永より先輩だからという理由でお金もないのに会うときは全て後輩の分も出します。サラ金に手を出し危ない状態にあることを神谷さんの相方から聞いて、徳永も神谷さんに会うのを控えていきます。

こんな二人もぱっと売れることもなく10年経ちます。徳永も相方の結婚をきっかけに解散して不動産屋に就職します。あるとき2人が再開して初めて出会った熱海に旅行します。地元のお笑い大会に一緒に出るとか出ないとか・・・そこで終わります。

ある意味斬新なお話でした。大体、映画というものは苦労したものは報われるという結末です。でもこの二人は10年経ってももがき続けたものの自分の理想とするものとはかけ離れた生活をしていました。でもね。ここからが違うのです。過去10年そして今は変えられないけどでも、それって無駄だったのか?とか、諦めたという言葉があるけど、それって完全に無になるのではなく、なんとなく芯のような部分は残り続けるのではないか?とそんなことを感じた映画でした。

3度目の殺人

福山雅治氏が演じる勝ちにこだわる弁護士と、証言がコロコロと変わる役所広司氏が演じる犯人の心理合戦が見ものです。弁護士として何度か接見しますが、言う事はまともなような感じですが、忘れてみたり変わってみたり、犯人が何を考えているか分かりません。弁護士も何としても極刑を免れるために作戦を練りますが、犯人からしたら、弁護士は本当の事なんて興味ありませんよね?と心の中をお見通しです。

実はこの犯人30年前に殺人を犯していていたのです。その時極刑を免れる判決をしたのがこの弁護士の父でした。少しずつ真相に近づいていきます。でも、近づくと離れる証言をするのでなかなか真相に近づきません。勝ちにこだわる弁護士が犯人の証言に振り回されることで真相に近づくための行動にでます。それでも何となく証言で一番信ぴょう性の高かったのは広瀬すずの演じた被害者の娘かなとも思いますが、はっきりしないまま映画は終わります。

最初に殺害したのは事実です。と認めていた犯人が途中から殺害そのものをやっていないと証言を変えたことで極刑が確定して終わりです。何かモヤモヤした気分で家に帰る帰途で、ハッとしました!3度目の殺人っていう映画の題名ですね。犯人は司法の力で殺されたの?と思ったら心臓がドキドキしました。